1945年6月。サラワクの奥地に抗日暴動事件が起きていた。連合軍イギリス・ オーストラリア部隊の特務工作隊数名が、日本軍の後方攪乱を目的に、ボルネオ島 カリマンタン奥地の湖に水上飛行艇にて降下し、現地イバン族青年への軍人訓練、 日本人の首に懸賞金を掛けての抗日煽動、空からは航空機で伝単(宣伝ビラ)を散布し、 日本への非協力と反日を宣伝した。
もともと首狩りの大好きなイバン族に、連合軍は日本人の首に懸賞金付きの陽動工作を行い、 たちまち暴動が拡大していった。イバン民族には、その当時は国境などという 概念が薄く、この土はイバン民族古来の物だと言い、常に南も北も自由に往来 していた。カリマンタン、サラワクのジャングル奥地に住むイバン族が、数千人の 暴徒となり日本軍の駐屯地があるべトン町へと行進を開始した。暴徒の彼等は、入墨をした 体に木の皮の褌(ふんどし)、毛布などでまとまった出で立ち。古来の蛮刃、槍、吹矢、盾、 狩用の銃を持ち、一列縦隊で、ジャングルの細く道無き道を数日の食料を背負い素足でやってきた。
その行列は数キロに達した。夜は森の枯れ木を集め焚き火をし、朝になると行軍を続ける事を 繰り返し、一週間もかけて山奥からやってきた。「功労のあった者には大きく褒美をやる。」と、 首領ウリンが言明していたそうである。ベトン町近郊のブル・アント・パデ部落を暴徒たち が通りかかるとき、「お前達はどこへ何しに 行くのか?」と部落民が訪ねた。 「日本と戦争をしにいくのだ。」と口々に答えていた。
部落民は、「ベトンには日本のブディ・ スズキがいるのだ。その人は、とても良い日本人なのだ。 俺たちの兄弟だぞ。このろくでなしめ。馬鹿め。」と多勢の行列を大声で罵ったそうである。 その後、セレバス、プルン・アント・パデ部落に差し掛かった時の事である。先達の首領達の慰霊碑がある 青天の森の頂上で、エンブアスと言う小鳥が声高く鳴き始めた。
「戦争は止めなさい....戦は負ける....二度と故郷の土を踏めなくなる....妻とも会えなくなる....可愛い子供達とも 再会はできなくなるぞ....」という意味の鳴き声であった。
イバン族は、緑深い精霊の使者として吉凶を告げるエンブアス鳥の鳴き声を信じ、直ちにその場から引き返していった。 日本人にもイバン人にも死傷者を出す事なく終わった。戦争が起こらずに済んだのである。これは、精霊の使者エンブアス鳥の 平和の叫び、平和の声があったからである。
日本人は、誰一人この事件を知ることはなく、ボルネオの地から、日本軍人、邦人老若男女全員が、英印進駐軍に よってクチン捕虜収容所から半年がかりで強制送還された。
その後44年が過ぎ、1989年セレパス川上流、ベトン地区のブル・アント・パデ部落を訪れ、旧友を見舞うが、 多くはこの世を去っていた。森の精霊、平和の使者エンブアス鳥の物語を聞き、戦争を止めた勲功を顕彰する塔を建て、 後世に伝える計画を決意し、部落尊長を初め村人の同意と協力の約定を取りつけ帰国の途についた。